Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

坂の上の雲 203高地

坂の上の雲ー第三部は日露戦争戦記といっていいんですが今回も迫力はありました。最も実は大半がCGで合成されているんですけどね、SFXとわからないSFXがなかなかいいと思います。

さて、坂の上の雲司馬遼太郎乃木希典愚将として描いていましたが、ドラマではやや愚将色を薄めています。これは乃木希典愚将説に対しては賛否両論あったからだと思います。

確かに堅固な旅順要塞への正面攻撃にこだわり無用な戦死者を多数作ったこと(要塞攻撃でのべ1万6千名)、そして最後の203高地以外の攻撃作戦は素人が見ても御粗末といわざるを得ないところはあります。しかしその責任を乃木に全て負わせるのはいささか酷かもしれません。

そもそも海軍の秋山真之が旅順要塞だけでなく、203高地のみの攻略でいいと主張したにも関わらずあくまで旅順要塞の攻略にこだわった点ーこれは児玉源太郎も旅順要塞攻略を主張していることから、乃木1人の責任ではないと思います。

そして何よりも陸軍がこの当時最も堅固といわれた旅順要塞に対して殆ど調べていなかった、「簡単に落ちる要塞だ」とたかをくくっていた点が大きいでしょうね。ーつまり情報の軽視、という部分です。実はこれが太平洋戦争まで続く陸軍の体質になってしまいます。これは乃木の責任ではなく陸軍の諜報活動がまずかったことの責任です。

ですから全ての責任を乃木に、というのは確かに酷ではあります。しかしだからといって乃木はお世辞にも名将だったとはいえないと思います。それはこの旅順攻撃の戦い方を見れば明らかです。特に第三回総攻撃は戦略上何の意味があったのか理解できません。(特に白襷隊の攻撃は第三軍の中でも異論が多かったのに乃木はそれを強行しました)

そしてやはり参謀が無能だったのも確かでしょうね。まあ坂の上の雲では徹底的に無能者として描かれた伊地知幸介の評価も賛否両論ありますが、結局児玉源太郎が来なければ203高地に対して有効な戦略が取れなかったのも事実でしょう。

ちなみに坂の上の雲で描かれているような乃木から児玉への指揮権移行の事実を書いた資料はない、という指摘がありますが、普通軍では指揮権移行とは更迭を意味しますし、明治天皇からも乃木更迭はならぬという命令が下されていますから、仮に指揮権移行があったとしてもそんなことを文書で残すはずなどありえません。

司馬遼太郎が児玉への指揮権移行があった断じているのは児玉が第三軍に合流してから明らかに戦略が劇的に変わったのを見ることができるからです。大砲の陣地変換を行ない、二八センチ榴弾砲の大量撃ち込み等、それまでの旅順攻略のパターンとは明らかに劇的に変化しました。これはやはり児玉源太郎の影響と考えるのが自然だと思います。

いずれにせよ乃木は愚将とまではいかないが、名将ともとても呼べない、単なる凡将だったということができましょう。日本にとって不幸なのはその単なる凡将が後に軍神として祭り上げられてしまった点です。

そしてこの陸軍の情報の軽視の体質が後の太平洋戦争には致命的な欠陥となってきます。司馬遼太郎も原作で指摘していましたが、なまじっか日露戦争で勝ってしまったため、この旅順攻略の失敗の教訓を学ぼうということが殆ど行なわれませんでした。「勝ちっぱなしの国はおかしくなる」とは司馬遼太郎の言葉ですが、結局は結果オーライで殆どこの失敗の教訓が生かされなかったということができます。

この当時の日本の産業構造や国力を考えれば、日露戦争はあまりに無謀な戦争だったといえます。その無謀な戦争に勝ってしまったことが後々太平洋戦争の非合理的な精神主義情報の軽視を台頭させる結果にもなりました。今聴いても呆れますが太平洋戦争で東条英機はアメリカに勝てると本気で考えていたようです。日露戦争当時の政治家は無謀を承知でやむをえない状況で戦争に突入しました。太平洋戦争に至っては無謀だという認識すらなかったのです。

その意味では坂の上の雲日露戦争以降、おかしくなっていく日本の伏線をも描いていると考えることができます。