Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

忘れられない日ー東日本大震災から一年を迎えて

あの日から今日で一年。

2011年3月11日は日本にとって忘れることのできない日になった。二万人の命が失われ、多くの人が考えもしなかった悲惨な生活に追い込まれ、今も住み慣れた土地に帰ることができないでいる。大地震と想像を絶する津波が人と建物、財産を飲み込み、原発事故はエネルギー政策に対する従来の価値観を変えざるを得なくした。それだけではないが、とにかくあの震災は第二次大戦の敗戦に匹敵するインパクトを日本社会に与えた。

この"311"はテロと自然災害(半分以上は人災だが)の違いはあるがアメリカ人にとっての"911"に匹敵するできごとである。あの時自分はどこにいて、何をしていただろう、ということを多くの人は思うに違いない。
その日、私は仕事場であるスタジオで作曲の作業をしていた。震源地から遠く離れていた自宅でも震度5強を記録し、パソコンやモニターを落ちないように懸命に抑えていたのを覚えている。震災のショックに輪をかけたのはよりによってその仕事は後になって私にとっては思い出したくもない仕事の1つに結果としてなってしまったこと。震災によって少なくとも4つの仕事が結果キャンセルとなり、年度末のかき入れ時に経営の面でも打撃を蒙った、そしてその後の計画停電により業務の進行にも支障をきたす事態も発生。本当に昨年の最初の三ヶ月は私にとっても最悪の時期だったといえる。

それは私の個人的な事情。もっとも深刻なのは震災から一年たっているのにもかかわらず被災地の復興が進んでいないこと。原発放射能の関係でいまだに住み慣れた土地に帰れない人たち。瓦礫の処理も進まず復興の着手すらできないところも多い。日本の政治家の無能ぶり国民の生活よりは自分の保身しか頭にない日本の高級官僚(とりわけ原子量保安院などは震災発生時に適切な行動を取らなかったばかりか、嘘に嘘を重ねたという面で国民に対し重大な犯罪行為を犯したといってもいいだろう。今月で廃止されるが遅きに失したくらいだ)福島第一原発の対応も含め、東日本大震災は半分以上は間違いなく人災である。日本の政治行政が制度疲労を起している証拠でもある。

被災地の皆さんが心から笑顔で生活できる日は果たして来るのだろうか。そういう日が一日も早く来る日を願ってやまないが、仮にそうなっていても私たち日本人がこの東日本大震災を忘れることはないだろう。