Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

潜在力を自ら捨て去ったインターネット

暦上は今日で年度末が終わり、明日から新年度。個人的にいろいろあるがここ数年ひどい年度で終わってしまい、新年度こそはという思いは強い。

この時期はいろんな意味で心境や方針の変化が私の中で起きるが、特にインターネットに対する考え方はここ5−6年で大きく変化した。残念ながらインターネットそのものに対してはネガテイブな方向に考え方が動いていっている。

勿論インターネットが便利なツールであることを否定するつもりはない。またウエブサイトというものの存在によって、私の会社のような営業力のない会社は多分に助けられた時代はあった。云ってみればホームページはうちの会社のセールスマン、といった面も確かにあった。しかし残念ながらページビューと問い合わせの数の比率は年々下がっておりここ数年は成約率も低調なままだ。特に一昨年はリーマンショックの影響もあってかひどい状態だった。そして昨年は震災の影響...それらを事業低迷の理由にしたくはないのだが、インターネットは便利なツールではあっても打ち出の小槌のような魔法のツールではないのである。

そして震災の時にもtwitter経由でデマが氾濫したが、最近特に感じるのはインターネットの情報の質の低さだ。そしてmixi2ちゃんに見られるユーザーの質の著しい低下。あちこちでおきているブログ炎上、私も何回か経験があるが「荒らし」執拗な「スパム」 今のインターネットの惨状は目を覆うばかりだ。

それでも最近はこういう現状を普通にブログ等で書けるようになった。つい3−4年前まではインターネットに少しでも批判的な言質を書けば「ネットのせいにするな!!」といって襲い掛かってくる輩がおおぜい来て袋叩きにあったものだ。まるでネットを批判するのが自分が批判されているかのように思い込む輩が少なからずいた。つい3−4年前まではネットの問題点を指摘することすらタブーだったのである。

そのパンドラの箱を開けたのがご存じ中川淳一郎さんの著書ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)である。この本を読んで私を含めておおぜいの人が「そのとおりだ!!」と思ったであろう。実際ここの書いてある実態はどれも思い当たるものばかりである。

実際「荒らし」執拗な「スパム」行為をする連中の殆どが暇人である。まともな仕事をしていたらこんなことなどできるはずがない。このような行動を取る人間はいずれも精神的に病んでいるし、精神年齢も幼い奴が多い。ネットではその辺りのチンピラ以上にたちが悪いが、リアルな世界ではおとなしくおそらくは会話すらまともにできないであろう。勿論普通の社会常識など持ち合わせてはいない。はっきりいって殆どの人間が人格障害といっていい状態だ。

インターネットについてはさまざな可能性がいわれてきた。しかしそれらは中川さんも書いてあるように機能するにはある条件が必要なのだ。

それはユーザーがいずれも賢く(少なくとも平均以上の知的レベルを持っている)理性的で社会常識を持っている人間のみで構成されている、という点である。そういう人たちのみがユーザーであれば、インターネットのさまざまな面で有効に使うことができ、情報も今と違いかなり信頼性のおけるものになったはずである。

しかし現実はどうなっているか、今ここで述べるまでもないだろう。

批判を恐れずに書けば
そもそも「バカで暇人」にインターネットなど使わせるべきではなかったのである。

これはインターネットは限りなくオープンで「誰にでも仕える」ことがインターネットの可能性を広げる、と当時のITギーグ、論客の誰もが信じて疑わなかった見解に基づいている。

しかしその結果がこの体たらくなのだ。残念ながら..

例えばmixiの変遷ぶり、はまさにインターネットの状況そのものを象徴している。

mixiの草創期はクリエーターやインテリゲンチャ等のネットワーク構築に大きく役立ち、実際ビジネスに発展することもよくあった。ソーシャルネットとして極めて有効なツールとしてかなり重宝した時代があった。

しかしだいたいmixi株の店頭公開の動き辺りから雲行きがおかしくなった。ユーザーの質が見る見る落ちていき、「荒らし」業者による執拗な「スパム」行為が日常茶飯事化し、有効なツールであったコミュ二テイも記事を書いただけで待ってましたとばかりに「荒らし」屋が襲い掛かってくる。私自身もそんな状態に嫌気がさし、かつては四六時中つないであった状態も今や一週間以上ログインしない時も珍しくなくなった。

ここでも何回も書いているが、ネットを生かすも殺すもユーザー、つまり人次第である。


残念ながら一度こうなってしまった以上、ネット草創期に語られたインターネットのさまざまな可能性、夢物語の大半は絵に描いた餅になってしまうだろう。もうここまで広がってしまった以上、今さらどうすることもできない。認めたくない人も多いだろうが「ネット夢物語」が実現する時代は永遠に来ないのである。 インターネットは「限りなくオープンにする」という原則にこだわったためにかえって結果として自らの潜在能力を捨て去ってしまったのだ。

ネット、ソーシャルネットについて論じるとき、多くはシステム中心に話が行きがちだが、最終的にはそれを実際に使う人間に大きく左右される。このブログでもくどく書いているが、システムなんて所詮手段に過ぎない。 しかしIT関係の記事を見てもそのユーザー、人、を焦点にあててネットの状況を論じている記事が驚くほど少ない。これはネットの記事のレベルの低さを表しているといわざるを得ない。

実際今私がソーシャルネットとしてメインに使っているfacebook,はっきりいってmixiと比べると使い勝手は悪い。mixiはやはりプロのウエブデザイナーが細かい配慮でページ作りをしているが、facebookはやはりその点では正直劣る。これは私だけでなく多くのmixiユーザーが感じていることで、そのためmixiユーザーでfacebook転向に二の足を踏んでいるユーザーも少なくない。(すくなくとも現時点では)

だが私はfacebookの方にソーシャルネットを中心に持っていくだろう。理由はコンテンツは「友人のみ」に公開していること、そして友人はいずれも複数回最低リアルの場所で会っている人に限定している。実名でつながるのだからそのくらいの制限をかけないとリスクが大きい。海外ではfacebookが実名登録であるがゆえに友人同士の殺人事件にまで発展した例がある。つまり情報公開を限りなくオープンではなく、寧ろクローズドな環境にとどめておく。という点。皮肉なことにクローズドな環境の方がインターネットを有効に使うことができるコツである。

つまり安心できるユーザー同士のみでのコミュニケーションに特化する使い方にこれから徹底する。正直ここ5−6年の経験でユーザー同士のネットのやりとりで相手方が「まとも」かそうでないかは何となくわかるようになった。またスピリチュアル系、カルト系の人たちは絶対に避けた方がいい。まともな常識が通用しないし、たいていの場合はいい結果にならない。こういうことを云うのも何でもかんでも限りなくオープンに公開する、というのはインターネットでは寧ろリスクの方が大きくなっていく、ということを最近実感しているからである。

インターネットは便利なツールではあるが、自分が一番使いやすい使い方にするのが一番だ。決して「バカで暇人」連中を相手にしてはいけない。奴らは要するに「かまってちゃん」たちであり、彼らとの時間は無駄以外の何ものでもないので避けるべきである。

そのためには「オープンに公開する」状態ではかえって駄目なのである。