Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

平清盛と平家物語とその背景

先週の平清盛の記事の続きに平家物語についての記事を書くつもりでしたが、結局あれから一週間たってしまいました。(汗) 先週は突然の解散とかいろいろありましたからねえ(笑)

さて、今回は以仁王の令旨が発せられるところまで来ましたが、平清盛はあと放送は5回、この状況だと清盛自身の死でドラマが終わる可能性は高いですね。おそらく平家の衰退ぶりを描きながら終わる、という感じでしょうね。それにしてもここ数回の清盛はすっかりシスの暗黒卿よろしく完全な悪役的に描かれていますが、ちょっとあまりにも平家物語的な描き方に偏りすぎているのが少し気になります。

まあ前にも書きましたように、重要な地位を全て平家で独占したこと暗愚な宗盛を棟梁にする(重盛の死でそうでざるを得なかったわけですが)そして敵を多く作りすぎた、といった理由がありますが個人的には少しバランスを欠いた描き方のような気がします。まあそう描いた方が「わかりやすい」ということなんでしょうが、ちょっとそれでは脚本の深みには欠けるのではないかと。これも民放やその他マスコミからの「低視聴率報道」が微妙に影響しているんでしょうか?

というわけで平清盛アンチヒーロー、悪役としてのイメージを定着させてしまった平家物語について書きたいと思います。

まず私は平清盛の記事で何回も書いておりますように平家物語は和漢混淆文で書かれた代表的作品であり、平易で流麗な名文としての文学的価値は確かにありますが、歴史事実のねつ造、歪曲等も多く、歴史書としては到底信用できないものである、という立場です。

平家物語は作者は不詳で、成立年代も様々な説がありはっきりわかっておりませんが、鎌倉時代に書かれた、という点だけが確かなようです。

文字通り保元の乱平治の乱勝利後の平家の反映と敗れた源家の対照、源平の戦いから平家の滅亡を追う軍記物語でありますが、文章の書き方や内容その他から摂関家に極めて近い人物が書いているということは間違いないと思われます。

勿論平家物語は平家滅亡後の鎌倉時代に書かれたことから源氏の世のため「勝者の論理」で歴史が書かれる、というのは歴史上の常識ではありますが、少し腑に落ちない点もあります。というのも冷静に分析しますと同じ平家でも嫡男、重盛に関しては好意的に書いたり、平薩摩守忠度の死を惜しむ等、必ずしも平家全員が悪として描いているわけではない、という点です。平清盛だけが徹底的に「悪の権化」であるかのように描かれています。

ここの部分を見るとあることが見えてきます。

私は平清盛織田信長坂本龍馬に匹敵する改革者だった、と位置付けています。それは貴族中心の「古代」から武家中心の「中世」への時代の変遷を作ったということだけではありません。清盛は過去のどの権力者とも違う明確なビジョンを持っていました。

それは日本を「貿易立国」にする、ということです。

平安時代遣唐使の廃止以降実質、海外の窓口を大宰府のみに限るという面で実質的に鎖国に近い状態でした。大河ドラマでも病気の回復を祈るのに祈祷師で祈る様が何回も描かれていましたが、科学らしい科学も殆どない時代、人々は迷信を信じ込み、平安貴族は「前例」「しきたり」のみで行動するという状態でした。大河ドラマでも平安貴族が何回も「前例」という言葉を発していますし、清盛もそうした迷信「前例」のみで動きすっかり硬直化している時代に嫌気が指し、それが清盛の「社会を変えよう」というモーテイベーションに変わっていきました。

それが「武士の世を作る」ということと日本を「貿易立国」にするという意志だったと思います。しかし迷信「前例」しか理解できない当時の平安貴族にそのようなことが理解できるはずもありません。正直大河ドラマでの平安貴族を描き方を見ますと、清盛の主張の方がまともに見えますし、逆に平安貴族を見ますとお歯黒してフニャフニャした「気持ち悪い奴ら」にしか見えません。正直こんな「気持ち悪い奴ら」に何百年も日本は支配されていたのかと思うと、昔の日本に生きてなくてよかったと心底思います。

そんな平安貴族から見れば平清盛「怪物」にしか見えなかったんでしょうね。だから徹底的に「悪者」にしてしまった、という背景もあったと思います。逆に重盛のように賢くても性格のよい人間は「いい人」に描かれてしまったのではないでしょうか?

平清盛は政治的手腕もずば抜けており、その時代の最高権力者に上り詰めました。しかし清盛のビジョンは当時の日本ではあまりに「早すぎた」のかもしれません。結局清盛の周囲に清盛の将来のビジョンを理解できた人物はいませんでした。清盛が自分の子供を教育し自分の将来ビジョンを理解できる人材を育てていれば歴史は間違いなく変わったでしょう。清盛が結果的に「ビジョン過多」だった点が見えてきます。

清盛を見ていますと、マスコミなどでいまだもてはやされている「グローバリスト」TPP参加論者の姿とダブってみえてしまいます。国内の経済事情、国民の生活その他をしっかり見ることなしに、ただアメリカ経済学の「新自由主義市場原理主義グローバリズムに流されて日本の将来を語る輩。新自由主義TPP参加は同時に大きな「痛み」を伴うのは明らかなのに、その点には目を向けず「これに参加しなければ日本は取り残される」という言質をあたかもマインドコントロールされたかのごとく繰り返す連中。

ちょっとそういう人間とダブって見えてしまうところはあったと思います。

清盛の場合それが源氏を始め諸国の武士の挙兵を誘発してしまったわけですが、やはり地に足のついていない改革は長続きしない、という歴史の先例にも見えます。

話はそれてしまいましたが平清盛が「宇宙人」にしか見えなかった公家、貴族によって書かれたと思われる平家物語にはそういった背景があったように思えてなりません。