Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

平清盛と源頼朝ーまことの武士

久々平清盛の記事です。
ここのところ選挙絡みの記事が多かった関係と先週私は仕事で見ることができなかったこともあり(昨日の再放送はみましたけど)記事を書けませんでしたが、まあ平家の見るも無残な姿が描かれていました。

「宿命の敗北」とはおそらく平家が最初に敗戦した「富士川の戦い」のことを云っているのかなと思いましたが案の定その通りでした。かつて清盛が元服の時に駄々をこねた清盛を押さえつけた伊藤(藤原)忠清がいみじくもいった「平家はもはや部門ではない」のひとことに愕然とする清盛、片や頼朝は坂東八平氏でも最大の勢力を誇った上総広常に「あなたこそまことの武士」といわせるなど両者が対象的に描かれていました。

最近の清盛はかなり平家物語に描かれている平清盛に近い形で描かれており、その点がいささか私は不満ではあるんですが、まあ確かに清盛自身がある意味「ダークサイド」に陥っていた面は確かにあるでしょうし、「貿易立国」による「新しい世」というビジョンにこだわるあまり、足元を固めるのを怠ったこと、そして一門の武将の質の低下(「平家」はもはや「武士」ではなく「公卿」になってしまったこと)などさまざまな原因が相まってあれほど権勢を誇っていた平家がいともあっけなく滅んでしまったという面はあったと思います。

さてこの平清盛源頼朝ですが私は両者ともに「古代」から「中世」への価値観の変遷を象徴する人物だと考えます。以前にも書きましたが歴史作家の童門冬二氏は歴史の変遷の折には

1.過去の価値観を破壊するもの
2.新しい価値観を創設するもの
3.新しい価値観での社会体制を維持するもの

の三種類の歴史のキーパーソンが存在すると書いています。

ここで1.過去の価値観を破壊するもの平清盛でありここで2.新しい価値観を創設するもの源頼朝であったと考えられます。ちなみに3.北条義時と泰時と考えます。

頼朝が清盛の「武士の世を作る」というコンセプトは理解していたことは頼朝が平家を滅ぼしてからの行動でもよく読み取れますが、最近の資料では必ずしも頼朝は平家を滅ぼそうとまでは思っていなかったようです。実際頼朝は後白河法皇「自分に朝廷に対する謀反の心はない、平氏と和睦しても構わない」という趣旨の書状を送っています。しかし比較的信用度の高い「玉葉」で清盛の息子宗盛は清盛の遺言を理由にこれを拒否したため結果的にそれが平家の滅亡につながりました、平家物語には「我の死後は堂塔も孝養も要らぬ、ただ頼朝の首を刎ね我が墓前に供えよ」といったとされていますが、最近ではこの記述を疑問視する歴史家の方が多いです。つまり戦国武士の感覚ならともかく、平安時代末期の武士感覚から考えてありえない遺言であるという説が近年では強くなっており、清盛はむしろ頼朝との和睦と後白河法皇との協調政治を望んだとも言われております。私も政治家としての現実的な手腕を持っていた清盛のことを考えますとどちらかというとその説の方が納得ができます。

いずれにせよこれから平家は滅亡の道をまっしぐらに行くわけですが、twitterNHKプロデユーサーの磯野氏の話だと最終回はやはり壇ノ浦まで描いちゃうようですね。平家滅亡のありさまを描くようですが、その平家を滅ぼした源氏も鎌倉幕府成立後わずか三代(実際には三代将軍の実朝は頼朝の三男ですからたった二世代しかもたなかったのですが)しか持ちませんでした。ご存じのとおり頼朝が範頼や義経を殺したことを始め大半の兄弟が謀殺されるか戦場で討ち死にする等で頼朝より長生きしたのは弟で僧の阿野全成のみです。(この阿野全成も頼朝の長男の頼家に謀殺されます)そして父義朝の兄弟(頼朝にとっては叔父にあたる)でまともに天寿を全うした人物は一人もいませんでした。結果的にこれらが源氏を弱体化させてしまい、頼朝が真の意味での武家政権の創始者でありながら人気、人格への評価が今ひとつになっている原因ともいえます。

いずれにせよ「古代」から「中世」に時代の価値観が変わるためにこれだけの多くの血が流されなければならなかった。というのは清盛、頼朝両者の波乱の人生を象徴しているように思います。