Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

平清盛の男子たちーもし棟梁が宗盛でなかったら

しばらく政治関係の記事が続きましたがあと一週間程度はやむを得ないかもしれません。

海外でも日本の安部自民党を中心とした極右政権が誕生する可能性が高いことに重大な関心を寄せています。

■Japan's opposition LDP on course for victory in general election
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/asia/japan/9732819/Japans-opposition-LDP-on-course-for-victory-in-general-election.html

もう一週間ありますが私もこれに関しては重大な懸念をいだいております。

さて、大河ドラマ平清盛ですが残るところあと2回の放送となりました。
最終回は壇ノ浦まで描かれるそうですが、あれほど栄華を極めた平家が滅んでいくさまを描いていくようです。

平家ー伊勢平氏ですが、清盛の祖父平正盛に続き忠盛と築き上げた力を清盛の代で最高潮に達したわけですがやはり四代目が結果的に忠盛、清盛と比べると器が小さかったというのが平家が滅んだ原因の一つかもしれません。
確かにそのあとを継いだ平宗盛は結果的に暗愚であったといわれても仕方のないところがあります。
しかし平家滅亡の原因を作った責任はやはり清盛にもあった、というか清盛の責任も大きかったといわざるを得ません。その意味では平家滅亡の責任を全て宗盛にするのはいささか酷です。

やはり清盛がビジョン過多のため夢を追いすぎて、自らの足元を固めるのを怠り、武士としての初心をいつのまにか忘れ事実上自滅した、というのが実態だということがわかります。

しかし平家の棟梁が宗盛でなかったら、と考えますと平家の衰退は免れなかったとしてもまだ違う展開になっていた可能性があります。

ここで清盛の子供ー男子たちを揚げます、男子はなんと八人もいたんですね、(落胤も含めますと)

平重盛ー清盛の前正室の嫡男ー聡明で誠実の人柄でしたが母の身分が低かったのと後白河法皇との関係を取り持っていたため板挟みになり一門の中での発言力を失う。わずか42歳で死去したがもし重盛が清盛と同じくらい生きていたら平家は違った展開になっていた可能性があります。歴史家によっては「平家の滅亡は重盛の死から始まった」という人もいるくらいです。

平基盛ー清盛の前正室の次男ー重盛に負けず劣らず文武に優れていたとされるが僅か24歳で歴史書によると「藤原頼長の怨霊に祟られ溺死した」とされますが、病死の説が一般的です。

平宗盛ー重盛亡きあとの平家の棟梁、父親や祖父に似ず暗愚で数々の判断ミスで結果的に平家を滅亡に追いやっている。

平知盛ー清盛の四男ー、兄知盛の指揮下に入り、生田の森の陣を警備する。しかし源範頼軍に陣を突破されると、覚悟を決め、従兄弟の経俊、義弟の清貞とともに三騎で敵陣に突入し、討ち死

六男については不明、早世したと思われます。

平重衡ー清盛の五男ー継室時子の三男。昨日の放送でも「南都焼討」を実行した人物。武将としては勇猛果敢、平家の中では数少ない武骨な人物。木曽義仲の軍を撃破するなど武将としては優れていたが「南都焼討」を恨んだ僧によって斬首される。

平知度ー詳細はわからず落胤(?)と思われる」。倶利伽羅峠の戦いに参加した際、源義仲軍に壊滅的な敗北を喫し討ち死

平清房ー清盛の八男

もし平家の棟梁が宗盛でなっかたとしたらー重盛が長生きするか知盛が家督をついだらー平家の衰退は避けられなかったにしても、少なくとも頼朝と何らかの妥協点を見出し源平共存の道を探ったような気がします。前にも書きましたが必ずしも頼朝は平家を滅亡させるところまでは考えていなかったようです。そうすれば歴史は大きく変わっていたでしょう。

まあ歴史に「たら、れば」は禁物ですが..(笑)