Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

ネットは「リア充」の時代突入で「リア従」に

まあこのブログでも何回か紹介した中川淳一郎さんのあまりに有名な著書「ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書) などは今更紹介する必要もないと思うが

確かにそういわれて久しいし、実際私もこのネットの「ヒマ人」連中の「荒らし」やその他の迷惑行為(いわゆるネトウヨも多い)に悩まされてきた方だが、だいたいスマートフォンが普及しだしてからかなり趣が変わり始めているようだ。

面白い記事があったので紹介する。

■ますます”リア充化”するインターネット
PCからモバイルへ、猫から犬へ
http://toyokeizai.net/articles/-/12489

2012年のネットを振り返ると、ため息をつきたくなる。ひきこもり型ネト充の筆者としては、ゆゆしき事態だ。リア充こわい。

リア充とは、「リアルが充実している人」の略。2007年ごろに流行し始め、今はネットスラングとして定着した。部屋で1人パソコンに向かい、毎日ネットという仮想世界に入り浸っている筆者のような“ネト充(ネット充)”の対義語で、友人がたくさんいて恋人もいて、社交的で、現実社会=リアルの生活を楽しんでいる人たちのことだ。こわい。

2012年にネットで流行ったネットサービスは、リアル社会と密接に結びついていた。スマートフォン向けメッセージ&通話サービス「LINE」は携帯電話の番号を知っている“リア友”同士で使うサービスだったし<中略>
ほんの少し前までのインターネット社会には、リア充は少なかった。むしろ、リア充でない人――友達が少なかったり、実社会ではコミュニケーションが苦手な、“非リア”、“非コミュ(コミュニケーション能力の低い人のこと)”がみんなで「リア充うらやましいね」「リア充こわいね」とささやき合いながら、ほっと安心できる場所だった。<中略>
2000年代初めまでのインターネットは非リアの楽園だった。教室のすみっこにいて、リア充から「おとなしい人」とか「気持ち悪い」とすら言われていた非リアたちは、家に帰ってパソコンを立ち上げさえすれば、ホームページでのびのびと自らを語ったり、掲示板のコメントを返したりでき、ネットの向こうの見知らぬ人と文字でコミュニケーションできた。電話は怖くても、メールならいくらでも語れた。

当時のネットユーザーはややもすると、リア充に気味悪がられた。ふだんは無口で挙動不審なのに、パソコンに向かうととたんに生き生きとし、ニヤニヤ何かを読み書きしている様子は、傍目には確かに気味悪かっただろう。<中略>
ネットがリア充化した背景にあるのは「モバイル」だ。ここ5年ほどでインターネットを使う場が激変。家の中でPCからのみアクセスできたものが、ケータイやスマートフォンで、外出先から利用できるものに変わった。パソコンを持っている人はある程度限られていたが、ケータイやスマホは誰もが使っている端末。家にひきこもってPCを叩くオタクの楽園だったネットが、外出して写真を撮ったり、ネットを友人との会話のネタにするリア充のものに変遷したのは、当然の流れだろう。<後略>

まあ当然だろうね。引きこもり、暇人やニート連中(「荒らし屋」ネトウヨも含め)が主導権を握っていた今までの方が異常だったと思う、

これはネットが社会的に本当の意味で普及した証しだと思う。この記事通りだとするとようやく「インターネット」というものが健全な媒体になりつつあるということだろう。

インターネットというものはリアルな現場(マスメデイア等の「リアル」なメデイアやリアルなイベント、体験を含めて)の情報を補完し、自由にリアルで経験した情報、体験を拡散できるのがネットである、。
いわゆる「インターネット万能論」よろしくネットが「リアル」なメデイアマスコミ、マスメデイアを凌駕するなんてのは幻想だ。

冷静に考えればインターネットは所詮「バーチャル」な世界であり、リアルな世界と対比する世界であり、ある意味虚構の世界である。虚構なバーチャルがリアルの世界に優っている、あるいは将来は優ってくるなどといった考えは冷静に考えれば正気の沙汰じゃない考え方だ。

だがその正気の沙汰じゃないことが、ついこの間までネットの中の論調の主流ですらあった、少なくとも「ネットの方が可能性がある」とか「ネットの方が優れている」などといった言質でないと納得しない人間が少なくなかった。
しかしいまだその幻想にしがみついている人間はおそらくリア充じゃないからだろうね。

リアルな生活を充実させることができないから、「バーチャル=虚構」の世界に閉じこもり、こちらの方が「リアルより優れている」などと云って自分を納得させているのだろう。傍からみれば空しくないかな、とも思うが

いずれにせよ「インターネット」の主導権が「アホな暇人、ニート連中」から「一般庶民のリアルな生活」リア充が主導権を握るようになるのは基本的にいいことだと思う。

ネットはリア充が中心になり「リアルなメデイアに従属する」リア従なメデイアになりつつあるということだろう。インターネットは補完メデイアだということがみんな見えてきたのだろう、ようやくインターネットを「魔法のツールとみるのではなく、客観的な意味での情報ツールとして社会的に定着した証しだと思う。