Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜ー池田屋事件 歴史の転換を誘発した事件

八重の桜ーここのところ歴史事実を丁寧に描き始めていますね。

京都守護職の激務に体調も崩しがちな松平容保、同じく所司代に就任した容保の実弟の松平定敬桑名藩主)とともに事態の対応に当たりますが、ここから歴史は大きく動いていきます。

今日は歴史に名高い池田屋事件が描かれました。新撰組が尊攘過激派浪士の京都市中焼討ちというテロ計画の情報を得て浪士たちの池田屋における集会を発見し、闘争におよんだといわれていますが、これに関してはいろいろな説があります。そもそも京都市中焼討ち説」というのは冤罪で単なる新撰組の襲撃の口実にすぎず、実際には古高俊太郎が逮捕されたのを知って、その善後策を練るのが池田屋に集まった真実だという説がありますが、私自身もこちらの説の方がしっくりきます。
また子母澤寛新選組始末記」司馬遼太郎竜馬がゆくでは新撰組の「山崎烝が薬屋に変装し事前に池田屋に潜入して探索し、突入前に戸の錠を開けた」となっていますが、これは最近ではこの説は否定されています。

いずれにせよこの池田屋事件は長州の倒幕運動の呼び水となったのは確かで、まずが「禁門の変蛤御門の変)」を誘発し、第一次長州征伐、そして秘密時に執り行われた薩長同盟と第二次長州征伐の幕府側の惨敗という歴史の流れを誘発します。

司馬遼太郎は、「この事件がなかったら薩長土肥主力の明治維新は永遠にこなかったであろう」と解釈しています。一方では池田屋事件により逸材たちが落命し明治維新が1年遅れたともいわれます。実際この事件で山本覚馬とも旧知の仲だった宮部鼎蔵吉田松陰会津に覚馬をたずねた人物です)と松下村塾高杉晋作や久坂玄随とともに「3秀」と歌われた吉田稔麿(よしだとしまろ)が命を落としてしまいます。

どちらの説が正しいかはともかく、幕末から明治にかけては多くの優秀な人材の血が流れてしまいました。日本という国が封建時代から近代国家にうつる過程の代償としては本当に高くついたと言わざるをえません。