Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜ー幕末のもう一人のフィクサー岩倉具視登場!!

八重の桜

幕府の保守派によって会津の役料(やくりょうー役職手当のようなもの)を差し止められる等、幕府の保守派による嫌がらせが始まります。
役料とは幕府が要職を依頼するときに支給される手当みたいなものでもちろん江戸時代ですから米で支給されます。会津藩に支給されたのはどのくらいかわかりませんがだいたい1000ー2000俵くらい。京都守護職を維持するのに必要な経費からみれば本当に焼石に水の量です。

責任感の強い松平容保はそれでも京都の治安を維持するのに職にとどまる旨を告げますが思えばこの時に引き上げておけばあとの会津戦争の悲劇は避けられたかもしれません。運命の分かれ道というのは人生のうちに何回か起きますが、この時が会津藩にとってそうだったかもしれません。これから幕末の歴史のうねりが大きくなります

そして山本覚馬の目は白そこひ白内障であることが判明します。白内障は現代でこそ手術で治すことはできますが、江戸時代はまだその技術は発展していませんので、これが原因で覚馬は失明していきます。ちなみに現代の医学でも白内障の本当の原因はわかっていないそうです。

そして今日は幕末から明治にかけて歴史のキーパーソンの一人といっていい岩倉具視が登場しました。まさか小堺一機だとは思いませんでしたが(笑)
もう誰も覚えていないでしょうが、昔500円札(!!)なるものがあり、その500円札に印刷されていたのが岩倉具視です

この岩倉具視は公家でも下級の家の出て元々は堀河家(藤原北家)の生まれ、それから岩倉家(村上源氏)の養子になった人物ながら、容姿や言動に公家らしさがなく異彩を放っていたため、公家の子女達の間では「岩吉」と呼ばれ蔑まれていたと記録に残っています。

これが平安時代や天下泰平の時代でしたら公家社会から干されて哀れな一生を送っていたと思いますが、やはり乱世の幕末、岩倉はその公家離れした型破りの才能を存分に発揮します。元々十四代将軍家茂と和宮の婚礼を実現したのが岩倉で、その公武合体政策が攘夷派に命をねらわれたため、身を隠す必要がありました。禁門の変で攘夷派が一掃されたあとも公家の中には岩倉を煙たがる人間が少なくなく結局、明治維新まで赦免されることはありませんでした。(平清盛で公家貴族がいかに融通のきかない連中だったかを思い出してください)

ドラマの中ではちょうどこの時の岩倉の様子を描いていますが、ドラマにも描かれていたように大久保一蔵(利通)や西郷吉之助(隆盛)との交流はあったようで、この隠遁生活の間に書いた「叢裡鳴虫」(ドラマでも紹介されていました)をはじめ多くの政治意見書は後の倒幕に大きな役割を果たしました。岩倉は一般に徳川慶喜大政奉還後の王政復古の大号令の実質的な仕掛け人といってもよくいってみれば、坂本龍馬とならぶ幕末のフィクサーを果たしていたわけです。

この岩倉がのちに山本覚馬「官見」を評価し覚馬釈放のとりなしを行うことになります。

来週はいよいよ薩長同盟のようです。ここで坂本龍馬は出てくるんでしょうか? 薩長同盟の筋書きを書いた龍馬ですからでないとおかしいですが、誰がやるんでしょうね。NHKの公式サイトには何も書かれていませんが...