Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜ー慶喜の誤算ー岩倉具視と王政復古

八重の桜ー先週の続きになります。

今日はかなり歴史のキーポイントをきちんと描いていました。
今回の「八重の桜」、ここ数年ないほど歴史考証がきちんとしていますね。
そして山本むつみさんの見事な脚本、視聴率苦戦といわれますが非常にいい出来になっています、

さて大政奉還という起死回生の一策を講じた慶喜、実は致命的なミスを犯してしまいます。それはドラマでも描かれていた通り、十二月八日の朝議に「病気」と称して欠席したことです。薩摩に囚われの身になるのを恐れていたようでしたが、折角「大政奉還」を行いことを有利に運ぼうと考えていたのですが、この日欠席したためにもう一人の怪物ー岩倉具視を始めとする薩摩、長州にいいようにやられます。

つまりここで事実上のクーデター、王政復古」のクーデターが起きるわけです。その結果御所はすっかり薩摩、長州の勢力下になり、ここで事実上薩摩も長州も「官軍」となったわけです。

唖然とする慶喜 「朝議に欠席すべきではなかったかー」 
 悔やんでも時すでに遅し、260年続いた江戸幕府が完全に終わった瞬間でした。

その朝議も実に史実に忠実に描いております。この筋書きを書いたのは全て岩倉具視で、四年間の謹慎を解かれ、薩摩と長州の協力により満を持してこの朝議に臨んだのが岩倉でした。そして岩倉の差し金で。慶喜には辞官(内大臣の辞職)と納地(幕府領の返上)を命ぜられようとした案に勇猛で知られる山内容堂がかみついた時に、岩倉がそれに対して一喝し結局は容堂を黙らせてしまう一場面は実際の史実に基づいています。


そうです、岩倉は公家とはいっても昨年平清盛に出ていたような軟弱でフニャフニャした輩ではありません。生まれたときからそうだったようですが、全く公家らしくない公家なのです。一公卿、それも公家でも下級の身分だった男が大名、それも勇猛で知られた大名を一喝すること自体が前段未聞ですが、それほどこの岩倉という男は事実とんでもない男でした。

さて、先週私はこの岩倉具視「革命家」と書きました。

何が革命だったのかは今日見た人ならわかると思います。

岩倉が廃止したのは幕府だけではありません、摂関制度ーそう奈良の律令国家以来1100年続いてきた官位制度を全部廃止してしまった、という点です。

王政復古で一度全部更地にする。」

そして今までにない全く新しい世の中を作る。これが岩倉の考えでした。

この岩倉という男、山内容堂を一喝するだけでなく、諸侯会議でも大名を震え上がらせる気迫で新政府の政策を進めていきます。
まさしく「怪物」です。

この慶喜と岩倉の勝負、勝負を分けたのは岩倉の方が敵を知っていた、ということでしょう。一方慶喜は薩摩や長州ばかり見ていて、岩倉という下級貴族のことなど気にも止めていなかったーそのため岩倉がどれだけとんでもない怪物だったかを理解はしていなかったようです。敵を倒すには敵を知る必要がある、これがやはり鉄則でしょうね。

作家の司馬遼太郎明治維新は革命というしかない」といっていますが、明治維新は西郷や木戸、坂本といった下級武士と岩倉や三条のような下級貴族(公家)による革命といっていいでしょう。そして岩倉はその中でも突出した革命家といっていいと思います。

この王政復古の筋書きを書いたのは岩倉ですが、最終的には山内容堂松平春嶽を配慮して400万石全納から松平春嶽らの要求により200万石半納に減免されます。そして結局これが「戊申戦争」の引き金になってしまうわけですが...

さて来週は鳥羽・伏見の戦い、ここで慶喜は考えられない行動に出ます。それは来週のお楽しみですが、いよいよ悲劇が始まってしまいます。

それにしても八重の桜に出てくる会津藩士の人たちは、みんな人間的にはいい人たちばかりですよね。

水戸黄門に出るような悪代官や越後屋的な人物はいません、その人たちの大半が来週の鳥羽・伏見の戦いから始まる会津戦争、で命を落としてしまいます。それが悲劇的な面をいっそう引き立ててしまいます。

以前も書きましたが私の母方の祖先は会津藩士だったようなので、それもあって今回はかなり会津に対する感情移入が入ります。最近会津藩の動きと母方の祖先で新たなことがわかりましたので然るべき段階でそのことについて書きます。

それにしても会津戦争の時に失明した覚馬の気持ちはどんなものだったでしょう。心中察するにあまりあります。

ちなみに今日二番目の妻である小田時栄が出ましたね。第二部への準備も着々と進んでいます。