Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜ー会津を救え!! しかしとうとう会津戦争突入!!

先週は業務で忙殺され八重の桜の記事が書けませんでした。しかし予告編や物語の進行状況を見ますとここしばらくは会津戦争がらみの話になりそうで、おそらくは今月いっぱいは会津戦争とその結末を描くということになりそうです。

何度も書いていますように私の母方の祖先が会津藩士ということもあり、一応歴オタでもある私は(笑)関連の史料をいろいろと読みあさりました。自分の祖先とその関係者がどのような悲劇の歴史を歩んだのかこの機会に真実を知りたいとも思ったからです。

さて、先週勝海舟が西郷との会談で江戸城無血開城が実現し徳川と薩長との全面戦争は避けられましたが、会津も戦争回避のためありとあらゆる手段を講じます。

しかし会津をさんざんこき使ったあげく見捨てた徳川慶喜と違い、会津は本当についていません。奥羽諸藩が会津救済の嘆願書を提出しても強硬派で知られる長州の世良修蔵に嘆願書が破り捨てられてしまいます。また勝海舟と同じように西郷とかけあおうとした会津藩士の広沢富次郎は投獄されてしまいます。何か要領の悪い人間が要領のいい人間のマネをして失敗してしまうという哀れなパターンを見ているようです。それにしても要領のいい慶喜、小泉ジュニアがやっていることもあって何かしゃくにさわりますね(笑)

そして結局は強硬派の新政府の奥羽鎮撫総督府下参謀の世良修蔵は暗殺されてしまい、奥羽列藩同盟と新政府との和議は事実上決裂してしまいます。

この世良修蔵という男は高杉晋作奇兵隊出身で、多くの手柄をたてのし上がった人物ですが、元々は農民なためその関係で武士階級に対する私怨もあったのと、やはり長州藩であることから蛤御門以来の会津藩への怨恨もあったため強硬派の急先鋒にたったものと思われます。ちなみに暗殺されたのは遊郭の中と描かれていますが、実際には城下町における町割りから旅籠で暗殺されたようです。

さてこのことで会津戦争が勃発してしまいますが、数には優る奥羽同盟も武器があまりに旧式(なんと火縄銃まである始末)で最新式の新政府軍には全く歯がたたない状態になります

その状態の中、奥羽同盟の体制立て直しに大きく寄与する人物が現れます。今日最後、佐川官兵衛が会いに行った越後長岡藩の家老の河井継之助


この人物は同じく保守的な体質を持った長岡藩の中で進んだ考え方を持った人物でした。譜代大名である藩主・牧野忠雅(黒船来航の時に老中を勤めました)の元多くの藩政改革を断行した人物でした。長崎や江戸等の遊学経験もあり奥羽の藩の中では当時でも最新の情報と人脈を構築していました。

ドラマでもガトリング社の大砲を買った話をしていましたが継之助は江戸藩邸を処分し家宝などをすべて売却し、その金で暴落した米を買って函館へ運んで売り、また新潟との為替差益にも目をつけ軍資金を増やしました。同時にファブルブラント商会(C.&J.FAVRE BRANDT)・スネル兄弟などから当時では最先端であるガトリング砲やイギリス製の2,000挺のエンフィールド銃・スナイドル銃などの最新兵器を購入し、海路長岡へ帰還しました。今日の官兵衛との会談はそのあとに行われたと思われますが、ちなみにガトリング砲は当時日本に3つしかなく、その内の1つを継之助が持っていたといわれます。ガトリングは現在でも米軍の使用する銃の主力ですので歴史的にも性能がいかによいかがこれでわかります。

いずれにせよこれから会津戦争の模様が描かれます。綾瀬はるか演じる当時の川崎八重は日本のジャンヌダルクといわれますが、同時にすでに描かれていますが、特に後半は「日本のナイチンゲールともいわれるほど女性の救護、看護活動の先駆けともなった人です。女性が看護師になる道を切り開いた人でもありました。会津戦争では八重さんのジャンヌダルクナイチンゲールぶり両方を見ることができるでしょう。これこそのちの夫の新島穣が「生き方がハンサムだ」といった点かもしれません