Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜ーいよいよ白虎隊が出陣してしまいます

今日の「八重の桜」は見るのに心の準備が必要でしたが本当に悲惨なのは来週ですね。八重の「日本のジャンヌダルクぶりを見ることができる反面、会津戦争のもっとも悲惨なシーンも見なければなりません。
来週こそが心の準備が必要です。

ついに十六橋が落ち、新政府軍が会津領内に侵入した時

容保の「援軍を送れ」という命令に対する田中土佐の言葉
 
「本陣は手薄にございます。援軍を送るには白虎隊も出陣させなければ」

さすがの容保も一瞬躊躇します...

しかし出陣の命は下されてしまいます。

この白虎隊、イメージでは全滅というイメージがありますが実際には次のようにいくつかの隊に分散されています

士中一番隊 49名、二番隊 42名
寄合一番隊 106名、二番隊 67名
足軽隊 79名

の総勢343名で

この中で最精鋭とされた士中隊の二番隊の生き残り20名が有名な飯盛山で自刃してしまいます。ですから343名全員が戦死するわけではありません。

実際玉山鉄二扮する家老の山川大蔵の弟の山川健次郎も白虎隊でも士中隊の二番隊とは別の部隊に所属しますが後に物理学者として東京帝国大学の教授となります。(余談ですがイギリスへの国費留学生として日本で初めて「カレーライス」を食べた人としても記録されています)

飯盛山で自刃した中で一人だけ生き残った飯沼貞吉は電信技士となり明治時代から昭和まで生きますが、白虎隊について重い口を開いたのは晩年だそうです。その関係で会津戦争の悲劇として後々まで語られることになります。

それにしてもこの会津戦争のことを調べれば調べるほど本当に悲惨な結末で、言葉も出ないほどですが、見ればみるほどこのような事態を避けることができなかったのかな、とも思いますね。

司馬遼太郎「街道を行く」の中で会津は凶のくじであることを百も承知で貧乏くじを自ら引いた」と書いています。最初から悪い流れに陥ってしまい、途中から態勢を立て直そうにもどうにもならなかった、というのがわかります。それだけに悲惨です。

実は私の母方の祖先はもうこの時点で会津にいない可能性が高いことがわかっています。といいますのは調べているうちにある史実がわかり、100%確信は持てないですが、その史実が原因で会津を出ている可能性が高いことがわかっています。実は例の長岡藩が関係しているんですが、もうすでに長岡藩もこの頃には降伏していますので別記事でこの点について書こうかと思います。