Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜ー決戦の時 会津の悲劇

八重の桜ー 先週の予告でわかっていましたが今週はかなり心の準備をしてみましたが、やはり辛かったですね

西郷頼母の家族(女性ばかり)21名の自決、白虎隊士中二番隊の飯盛山の自決 これらいずれもほぼ史実通りに描かれていますが、それだけに悲惨でしたね。
(注:但しこの時頼母の長女が死に切れず悶え苦しんだ時に介錯したのが板垣退助になっていましたが、実際には土佐の中島信行といわれています。(異説あり))

一方で「日本のジャンヌダルクぶりを見せた綾瀬はるか扮する八重が実にカッコいい。多勢に無勢ながら大山弥助(巌)に負傷を負わせる等(これも確認されたわけではないですが、ほぼ八重の射撃に間違いないだろうといわれます)の活躍をします。前半の最大の見せ場ですね。

それにしても城下に入った時点でよく戦えたと思いますね。
実は私は一度だけ仕事のついでに会津若松市に立ち寄ったことがあります。それほど長期間滞在しなかったのですが、会津若松鶴ヶ城は市街地にあり、平山城です。

外堀、内堀はありますが、市街地に入られたら限りなく裸同然ですので、行ってみるとわかりますがよくこんなところで戦争したな、と思いますね。

普通に考えれば無謀に近いと思います。そのため新政府軍はこの城を見て「簡単に落ちる」と最初は鷹をくくっていました。

しかし実際には会津は一か月持ちこたえました。その陰には八重の活躍も大きかったと思います。

最新鋭の装備を持っていた新政府軍も会津の気合や粘りに苦戦を強いられたといってよく、敵ながら会津藩の態度や戦いぶりに、ある種の共感に似た感情を抱いていた長州藩の参謀・前原一誠は、木戸孝允会津藩への厳罰を避ける旨の手紙を書いています。

さて、来週はいよいよ会津戦争のクライマックスですが暗い話ばかりだとさすがに見るのが辛いとNHKも思ったのかわかりませんが、病床に伏す山本覚馬を見舞った大垣屋清八に覚馬が心血を注いだ「管見」を預けます。これが覚馬の明治に入ってからの道を切り開くのに大いに役立ちます。

まあこれだけ暗いシーンばかりですから、少しはポジテイブな話もないとねえ。

来週でおそらく会津戦争は終結しますが、ここでwikipediaでもあたかも史実であるかのように書かれている事象について異を唱える記事も書きます。

ちょっと信じられないことがあたかも史実であるかのように書かれていますので..