Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜ー「帰ってきた男」新島襄とキリスト教

八重の桜ー今回からオープニングの映像も変わり、いよいよ後半の京都編に本格的に入ったことを実感できるようになりました。

幕末にアメリカ船に乗って密航した新島七五三太(しめた)少年がアメリカボストンに行って十年余り、江戸幕藩体制でしたら下手すれば「死罪」になりかねなかった密航を木戸孝允の計らいで無事帰国。明治に入りようやく解禁となったキリスト教による学校を作りたいとの新島の要望に対して木戸は山本覚馬を紹介します。

以前当ブログにて新島襄同志社山本覚馬なしには実現できなかったと書きましたが、覚馬の京都府知事の槇村への進言と京都薩摩藩邸を学校の用地にする等、新島の手助けを積極的に行います。そして八重との運命の出会い。

新島襄がなぜ八重のような当時の女性としては型破りな女性を好んだかについては別記事で記すとしましてこの記事では明治に入り実に250年ぶりに解禁された日本の中のキリスト教について述べましょう。

始めにお断りしておきますが私は別にクリスチャンではありません。しかしアメリカ生活が長かったためキリスト教的な雰囲気で育ったのは事実です。

例えば今日も襄が八重が働く「女紅場」で"♪Yes Jesus love me"を女生徒に歌わせておりましたが、この曲は教会の日曜学校を始めアメリカの学校でも普通に歌われている曲で私などは懐かしさを感じました。もっとも私がこの曲を始めて聴いた時はたまたまゴスペルバージョンだったため、ついこの間までこの曲はゴスペルだと思ってました。(^^:)

♪ Yes Jesus loves me
Yes Jesus loves me
Yes Jesus loves me
The Bible tells me so

(ちなみに英語が苦手な人のため、Jesusとはイエスキリストのことであり、「キリストはいつでも自分を愛している」
「聖書が私にそう教えてくれたから」
という内容の詞です。

キリスト教の伝導の方法で他の宗教と違うのは音楽をかなり積極的に活用した点ではないでしょうか。勿論イスラム教にはコーラン、仏教には声明がありますが、「わかりやすい歌」キリスト教の教義を広めるメソードはキリスト教、とりわけルター派に起源を有するプロテスタントに顕著ではないでしょうか?

新島襄はアメリカのボストンにいたためプロテスタントの雰囲気の強い地域で学んでいますので、讃美歌で「楽しく」教える方法を会得していったのだと思います。

ちなみにキリスト教の中で旧教であるカトリックで歌う曲を「聖歌」プロテスタントが歌う曲を「讃美歌」といって明確に区別しています。皆さんがよくご存じの「きよしこの夜」を始めクリスマスの曲の多くは「讃美歌」です。
最も最近はカトリックでも「讃美歌」を歌うようになっていますが..

江戸時代の家康の時代にキリスト教を禁止してから明治に入り解禁に動いたのは岩倉使節団がきっかけで、キリスト教解禁が条約改正の交渉再開の条件、と突きつけられたためです。政府の中には抵抗する人間も少なくなかったといいますが、近代国家への脱皮には避けて通れない道だったはずです。そして1873年にようやくキリスト教解禁、新島襄が帰国したのは翌年の1874年になります。

元々徳川家康キリスト教を禁止したのは16世紀の布教活動がスペイン、ポルトガルの侵略行為と関連していたという背景があったわけですが、近代国家に入り政教分離が欧米でも徹底されてからはそのような懸念は必要がなくなりました。但し帝国主義の時代でもあり、日本の植民地化の危険は20世紀に入るまで続いたわけですが

ちなみに宣教師は英語で"Missionary"といいます。この"Mission"というのは(指令、任務)を意味しており(映画"Mission Impossible"というのがありますが、これは「不可能な指令、任務」という意味です)
布教という指令を受けて活動するという意味ですね。

これは現在でも変わりません。

そして新島襄"Missionary"だったわけです。
そしてその"Missionary"の結果同志社大学ができあがります。