Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

八重の桜ー過激な転校生、熊本バンド

八重の桜、先週も「ねたばれ」で触れましたように熊本バンドの過激さ、が描かれていました。

まあ250年以上もキリスト教は禁止されていたこともあり、やはりキリスト教に対する偏見は根強かったことが背景にありますが、それにしても過激(笑) しかしこの熊本バンドから後に同志社を代表する人物が出てきます。

さて、夫の襄の意向でアメリカ式の生活を実践。八重は夫を『ジョー』と呼び捨てにした八重を見て徳富猪一郎、のちの徳富蘇峰「頭と足は西洋だが、胴体は日本、まさに(ぬえ=妖怪)」とののしります。それ以外に授業の内容に文句をいったりまあ、いろいろと翻弄させますが、熊本バンドが要求書を突きつけたときの襄の言葉が彼らを同志社に打ち解けさせるきっかけを作ります。

「私は学問だけを教えるのではありません、私の目指す学校は心を育てる学校です。私は国を愛する人間を育てたくてこの学校を育てました。そして国とは国家のことではありません。国を愛する心とは自分を愛するように他人を愛する心だと私は信じています。汝の隣人を愛せよ、と、しかし己のために他者を排除する者を私は断固として許さない。その信念がある限り私はやめることはありません」

これは今でも同志社大学の基本理念になっているようです。

さて、この熊本バンドの主要人物が後日どうなるか簡単に説明しましょう

小崎弘道ー 要求書を襄につきつけ「他者を排除」する急先鋒になった男ですが(笑)牧師となり。霊南坂教会を創設し、同志社第2代総長となります。(えーつ、と思う人もいるでしょう(笑)

市原盛宏ー小崎とならんで過激な行動をとっていた人物、襄が涙ながらに訴えたことを嘲笑った男ですが最初は同志社で教鞭をとりますが、小崎と違い過激な行動をなかなか崩さず、学生に対しても高圧的に接したために学内の紛争の原因を作ります。後日本銀行に入行。第一銀行横浜支店長、横浜市長を歴任した後、朝鮮銀行初代総裁に就任と銀行家、政治家になります。

海老名喜三郎(弾正)ー 牧師、思想家。後日本基督教伝道会社の社長に就任。

伊勢時雄ー 幕末の賢者 横井小楠の息子で後に覚馬の娘、みねと結婚します。キリスト教伝道者として今治へ。その後、同志社第3代総長を務めます。

金森通倫ー 京都の覚馬の家に命からがら倒れ込んで入ってきましたが宗教家・牧師となり同志社普通学校長兼神学校長(-1884年3月)。明治17年(1884年)7月、東京番町教会牧師(-1885年4月)。明治18年(1885年)、自由党入党、『自由新聞』主筆します。実は自民党石破茂はこの金森のひ孫にあたります。

そして
徳冨猪一郎ー のちの蘇峰ですね。八重のことを(ぬえ=妖怪)とののしりますが、一方では学内で襄や八重をもっとも擁護する行動もとります。襄の死後も八重に援助を惜しみなく与え、蘇峰が貴族議員になってからも歳費を封を切らずに八重に送ったこととされています。

しかし後に国家主義に走ったためにこの男の思想自体が好きじゃないし、何よりも日本を太平洋戦争の道に走るのに好戦的な世論をさんざん煽った人物なので私ははっきり言って大嫌いな人物です。

しかし面白いことを書きましょう。

実はこの徳富蘇峰という男、お笑い芸人の大竹まことにそっくりです。(笑)

顔が似ていると性格も似る???(笑) ですかね?

ちなみに後に大山捨松を苦しめることになる弟の健次郎(蘆花)は出ていませんでしたね。妹は出るようですが

さて、来週はいよいよ西南戦争ですがこれに関してはいろいろと思うところがありますのでそれは来週書きます。