Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

軍師官兵衛ー室町幕府と足利義昭

軍師官兵衛ー本日は都知事選の関係で一時間早い放送でしたが、本日は信長がいよいよ足利義昭を追放する場面、そして官兵衛が堺に旅した時に偶然会った一回の浪人だった荒木村重が摂津茨木城主に取り立てられる様子が描かれました。この荒木村重の城で後に官兵衛が大変酷い目に遭うと同時に、桐谷美鈴演じる妻の「だし」の悲劇が後に描かれますがネタバレになるのにここまでにしておきます。

さて、今回は室町幕府の最後の将軍の足利義昭が信長に叛旗を翻したものの、信長に京都を追放されたため、一般的にはここで室町幕府が滅亡したことになっています。しかし最近の研究で、有名無実とはいえ公卿補任という公式記録では正式に義昭が征夷大将軍を辞する天正16年1月13日(1588年2月9日)まで足利家の源義昭が征夷大将軍であったと正式に記録されています。とはいえ、この義昭追放以降室町幕府は本拠地すら持つことができず、流浪の生活を義昭は強いられることになり機能を完全に失っていることを考えればやはりこの1573年が室町幕府滅亡という認識でよいと思います。

さてこの室町幕府ですが、形の上では足利尊氏建武式目によって新政権の施政方針が示された建武3年(1336年)に創設して以来1573年まで237年続いたことにはなっていますが、歴代の日本の政権の中で最も弱体な政権であったといえるでしょう。実際室町幕府が全国を完全に掌握していたのは1391年の南北朝統一から応仁の乱(1467-77年)ないし明応の政変(1492年)くらいまでの100年くらいでしかありません。

なぜこれだけ弱体政権だったかといいますと
1.幕府創設以来、南北朝を始め動乱が多かったため守護大名の力が大きく、幕府の運営も実質守護大名の合議制だったこと。

2.幕府の直轄領が鎌倉幕府江戸幕府よりかなり少なく、収入もかなり限られていたこと

以上のことから何か不測の事態が発生する場合は有力守護大名を頼らざるを得ない状況があったため、最盛期の三代将軍義満の時ですら盤石とはいい難かった体制でした。

戦乱の世になるべくしてなったのかもしれません。

最後の将軍義昭は信長に追放された後も毛利や島津を頼り何とか室町幕府再興を画策しますが、最後は秀吉の庇護下で世を去り、嫡子と孫は出家しましたので室町将軍の正統は絶えます。

足利義昭(1537-1597)
ちなみに関東管領の子孫で古河公方(こがくぼう)と言われた家系は喜連川氏を名乗り家康に庇護され、高家(こうけ)として家名を保ち明治に入り旧姓の足利に復しています

ちなみに足利義昭本能寺の変の黒幕説がありますが、果たしてどうなんでしょうか?