Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

軍師官兵衛ーだしの遺児? 浮世絵の祖の岩佐又兵衛

軍師官兵衛、当ブログでもアクセスが多かった荒木村重の正室(継室)だしがとうとう処刑されてしまいました。ドラマでも描かれていましたが実際には荒木一族はもっと残酷な殺し方をされていたようで、その模様は「立入左京亮宗継入道隆佐記」に記されていますが、この時の信長の残忍さは確かに常軌を逸している部分が確かにありました。

前にも書きましたが、本能寺の変は黒幕は誰だったにせよ(最近では足利義昭説が有力になっていますが) 起こるべくして起きたようなきがします。ドラマでも春風亭小朝(ちょっとこのキャステイングにはがつくんですが)扮する明智光秀がちょっと思わせぶりの表情をしていました。

さて先週も有岡城落城の折、だしが生まれたばかりの赤ん坊を乳母に預け脱出させるシーンがありました。その赤ん坊は実在の人物で後世に名を残す人物になります。

その人物の名前は岩佐又兵衛 

岩佐又兵衛 1578-1650

何と俵屋宗達と並ぶ江戸初期を代表する大和絵絵師となるのですが、特色ある表現手法の持ち主でたくましい肉体を持ち、バランスを失するほど極端な動きを誇張、強調し、劇的なタッチとエネルギッシュな表現が特色のその作品は、しばしば浮世絵の元祖とも呼ばれます。

年齢的にみて(おそらく)だしの子供で間違いないだろうといわれていますが、荒木姓は当然謀反人の姓ですから、おそらくは乳母の姓の岩佐を名乗ったのではないかと思われます。(実はだしの旧姓ははっきりわかっていません)

最初は自分の母の仇であるはずの織田信長の二男、信雄(のぶかつ)に仕え、信雄(のぶかつ)が改易になったあと、京都で絵師を始めたのがきっかけといわれます。

以下岩佐又兵衛の作品です

'山中常盤物語絵巻

豊国祭礼図屏風

荒木村重の一族の殆どは信長に惨殺されますが、嫡男の村次は村重と共に脱出したため生きており、村次は本能寺の変後に秀吉に仕えますが、村次の子孫のその後はわかりません。(少なくとも大名にはなっていないようです)尚、村次の嫡男の村直は「又兵衛」を称しており、学者によってはこの荒木村直を岩佐又兵衛だという説を唱える人もいます。