Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

軍師官兵衛ーキリシタン大名と高山右近

軍師官兵衛ー今回は荒木村重改め道薫の心の傷により秀吉の元を追放され、その道薫の心情を察するがゆえに思い悩む官兵衛にキリシタンの洗礼を高山右近によって進められる場面が描かれました。

ここで生田斗真演じる高山右近、戦国時代の代表的なキリシタン大名として知られていますので、この高山右近について述べておきましょう

高山右近 1552-1615

高山右近摂津国人領主の一人で12歳でイエズス会員ロレンソ了斎の話を聞いて感銘を受け、キリスト教の洗礼を受けたといわれています。
荒木村重の家臣から信長に恭順、それから秀吉に仕える等、主君を転々としますが熱心なキリシタン大名として知られ、ある意味大名としての出世よりも信仰を優先するような行動が目立つくらい敬虔なキリシタンだったといえます。

洗礼名はユスト(またはジュストー英語のJustと同じで「正義」の意味

この高山右近に影響を受けてキリシタン大名になったのは、黒田官兵衛を始め牧村政治・蒲生氏郷などがいます。このほかにキリシタン大名にはなっていないものの細川忠興(正室のガラシャ夫人が熱心なキリシタン)や前田利家などもキリシタンに対しては好意的になりました。

官兵衛はシメオン(Simeon = ラテン語名でSimonと同じ)という洗礼名をもらいますが、実際にいきさつはともかく、当時の多くの大名が秀吉の当時のキリシタン優遇の流れに沿って洗礼を受けるーいわば「政治的にキリシタンを利用した」面は否定できません。

これはポルトガルやスペインも同様で、宣教師missionarymissionは「任務」という意味もあり、キリスト教普及を利用しての植民地化、征服に利用していたことは、この両国がアメリカ大陸で行っていたことを見れば明らかで、実際それで宣教師(バテレン)が日本人を奴隷化したり、事実上植民地化の実態を秀吉が知るやいなや、秀吉は驚き、バテレン追放令を施行します。

このバテレン追放令にも右近の信仰が揺らぐことはなく、信仰を守ることと引き換えに領地と財産をすべて捨てることを選び、世間を驚かせます。一方官兵衛はこのバテレン追放令であっさりキリスト教を棄教します。その後同じキリシタン大名である小西行長、そして前田利家の庇護の元暮らします。

しかしこのバテレン追放令、秀吉はキリシタンの布教には制限を加えたものの、南蛮貿易には一切制限を加えなかったためいつのまにか、ウヤムヤになります。

関ヶ原以後、徳川の天下となり家康が1614年にキリスト教を禁止すると、自ら国外退去処分を選び、長崎から家族と共に追放された内藤如安らと共にマニラに送られる船に乗り、マニラに12月に到着します。

マニラ到着後すぐに病にかかり、翌年の1月8日(1615年2月4日)に息を引き取りました。享年64
しかしあまりに早く死んでいることから、毒殺、暗殺説もあります。
右近の死後家族は日本への帰国を許され、石川県羽咋郡志賀町代田、福井県福井市大分県大分市に直系子孫の3つの「高山家」があるそうです。

キリシタン大名の多くは棄教しますが、高山右近だけは最後までキリシタンであり続けました。宗教に縁の浅い日本人の感覚からすれば賛否両論ありますが、宗教に生きた稀有な人物として、忘れられない人物の一人ということができます。