Kyojiのよろずひとりごと

作曲家、編曲家、ピアニストそして製作会社の経営者ですが、ここでは音楽以外の社会一般のことの雑感について書きます。

安倍首相70年談話のカラクリーよく読むと謝罪も反省もしていない

昨日安部首相の戦後70年談話がテレビで放映された。
最初は「私的談話」だったのがいきなり「閣議決定」に変更、これは何かあるな、と思った。

昨日テレビで聞いた限りでは正直、何を云っているのか全くわからなかった。文字通り意味不明の会見。何となく謝罪らしい言葉がちりばめられているように聞こえるがどうも全く気持ちが伝わってこない。

どうもひっかかっているので毎日に掲載されている「70年談話:安倍晋三首相談話全文」をよく分析していると驚くべきことがわかった。実はこの談話、一見謝罪しているようにみえるが実は謝罪も反省もしていないことが判明した。よく言えば練りに練られた文章だが、これを「閣議決定=日本政府の公式見解」とするとこれは安倍政権ファシスト的体質を寧ろ鮮明にしたとも受け取れる。

■70年談話:安倍晋三首相談話全文
http://mainichi.jp/feature/news/20150814mog00m010009000c.html

70年談話を詳細に検証してみよう

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

まずいきなり19-20世紀の帝国主義の時代の話から切り出していることに何か胡散臭いものを感じた。何よりも日本が植地化されなかった点を暗に「誇らしげ」に語っているようにも聞こえるし、第二次大戦の反省や謝罪の弁のはずなのになぜか日露戦争の話まで持ち出していることに違和感を感じた。

I 反省ではなく言い訳?

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

ここの部分でポイントは2つある。
1.まず青文字の部分、日本が第二次大戦以前に世界恐慌、日本への経済的ブロック」という事情をわざわざ持ち出したのは、「日本が戦争に向かっていった言い訳」に聞こえないだろうか? この文章をよく読むと世界が日本に対する経済制裁に走ったから日本は戦争に進まざるを得なかった、という言質、−これはどうみても「反省」ではなく「言い訳」である。

2.赤文字の部分だがよく見ると満州事変「戦争への道」を分けている。つまりこの文章だと「満州事変」は戦争ではないということなのだろうか。歴史的には「満州事変」から日中戦争が始まっている。実はこれと同じ部分がまた後で出てくる

II 「事変、侵略、戦争」とわざわざ分けている点

戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。


先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。


 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

1.まず紺文字の部分 皆さんはこれを謝罪の文章と受け取れるだろうか? ここでは「痛惜の念」という言葉を使っているが、痛惜という言葉にはニュアンスでいうと「しまったーやってしまったー」というニュアンスがある。これは後悔ではあっても謝罪ではない。

2.赤文字「事変、侵略、戦争」
上記のI,でも「満州事変」と「戦争への道」とわけていた点が気になったのだがなぜわざわざ「事変、侵略、戦争」と並列に並べたのだろうか?「満州事変」や「日中戦争」は「侵略ではなかった」 「侵略戦争への入り口ではなかった」といっているようにも受け取れる。さらに気になるのは植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。などとわざわざ付加している点だ。なぜなら戦前の「大東亜共栄圏」の旗印は「アジアを植民地帝国主義」から解放する。というのが大義名分だったからだ。もし「満州事変」が「侵略ではなかった」という意味だとしたら、この文章は寧ろ戦前の「大東亜共栄圏」の発想を寧ろ正当化する一文とも受け取ることができる。

いずれにせよ特に最後の文章は反省と謝罪の談話で述べるべき文章ではない。

III 「これ以上謝らせるな」と暗にいっている文章

先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。


戦地からの引揚者の話や元捕虜の戦争犠牲者への慰霊の話に押し隠されているが、赤文字の部分を見てほしい、見事に安部政権の本音が隠されていた。


私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
 

つまり 「これ以上俺たちに謝らせるな」 

と暗に要求しているのだ。 

こんな謝罪、反省の文などあるはずがない。この一文だけで安倍首相の七十年談話は謝罪の文でも反省の文でもない、ということがわかる

私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。



 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣  安倍 晋三

最後はご丁寧に「安保法制」の宣伝までしていた。

上記の文章全体にいえることは、
第二次大戦に伴うさまざまな「事実」「史実」には言及しつつも、それに対する「主語」が明記されていない。つまり誰が史実に対して後悔しているかが読んでいてわからないことだ。

そしてただ羅列した「史実」に対して「だから私たちはこうします」という言質に終始している点である。つまり「史実」に対して反省、謝罪をしているのではなく、「こういう史実があったからこれからこうしていく」という説明に終始していること。

つまり第二次大戦に対して「後悔」はしている、だが「反省」はしていない

そう受け取れるのだ。

云ってみれば安倍の70年談話は「反省、謝罪のような」言質をオブラートでくるみながら、実はしっかり安倍の後ろ盾である「日本会議」の主張をしっかり入れている。

そういう内容の談話だ。

あえていう、これは詐欺談話

この文章に騙されている人も多いだろう。

だからこそ「閣議決定」という政府の公式見解に対して「日本会議」側から安部政権には何のお咎めもなかったわけだ。

だがこの文章に先の戦争への反省や謝罪はない。後悔はあるかもしれないが..

それが安部晋三首相のこの国の戦後70年談話の真の中身になってしまっている